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私は子供の頃に何度も空を飛ぶ夢を見ました。

空の上から見下ろした地上の景色を今でもとてもはっきりと覚えています。

小学校や自分の家が小さくなって、街並みを見下ろして雲の上まで上がっていきます。

最初の頃は少し恐怖もあったのですが、空を飛ぶ夢は頻繁でしたので。

小学校6年生くらいになるとどれほど高く上がっても全く恐怖心はなかったものです。

恐怖心どころかその頃には空を飛ぶことに快感すら覚えるようになり、宇宙まで飛んで行ったこともあります。

そして中学に入学する頃になると、全く飛べなくなりました。

何度も挑戦しましたが、どんなに飛ぼうとしても体が浮かなくなりました。

「ああ、もう飛べない」そう思ってからは飛ぶ夢を見なくなりました。

 

二人の子供たちが独立し、家を離れました。

 

今まで子育てをしながら両親の介護看病をし、数々の仕事もしてきました。

当時20代の私は、生まれたばかりの小さな息子の育児と突然の病気で起き上がることも食事も一人ではできなくなった母の介護はホントに大変だと感じていました。

介護と育児で睡眠時間も少ない私を夫はずいぶん助けてくれました。

母が亡くなると大きな悲しみと後悔を感じたのです。

もっとできたはず!との思いが心を締めつけハラハラと涙がこぼれました。

夫は、やれることはやったのだから!と励ましてくれましたが…

そして娘が生まれたころから今度は父の看病が始まりました。

父には、母の時のような後悔が残らないようにと必死でした。

祖父母から受けた愛情が子供たちにも伝わっていて、息子は幼いながらも私を手伝ってくれたものです。

私が父の病院に泊まり込んでいるときにも、4キロも離れた私の実家に自転車で行って、

まだ小学4年生なのに新聞を縛ったり、父の植木の水やりやすごい量の実家の庭の落ち葉を掃除したりしてくれたものです。

家族の助けが無かったら、介護や看病はできないものだと感じています。

子育ても介護も看病も仕事も今振り返ると私の人生の大切な宝だと感じています。

とりわけ、両親や今の家族に出会えたことに感謝しています。

 

人生は順風満帆というわけにはいきません。

泥をかぶったり、言葉と言う大きなナイフで胸を刺されたり、

信じていた人から裏切りを受けたり、病気が襲って来たり…

表面意識(顕在意識)だけを見つめて生きていけば、

立ち上がることもできないくらいに傷つき荒んでいくことでしょう。

私もそんなことが今までにたくさんありました。

ヒプノセラピーの学びを通して、それが必然で起きていたのだと分かったのです。

無意識(潜在意識)を知ることで、すべてを感謝する心に変わりました。

 

そして今はヒプノセラピストとして、クライアントさんや皆さんを応援し、

幸せになるためのお手伝いができたらと思っています。

愛を込めて。

 

 

JHA 日本催眠療法協会認定

 

臨床催眠療法士

 

羽生侑加

 

 

 

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